人間の手で破壊される危機にさらされている世界遺産。
7/JUN/2015 from Uzice to Peje
ウジツェでびっくりのハリウッド映画のエキストラ出演のオファーを受けた私たち。
3週間後に出演の約束をし、その間にぐるっと東ヨーロッパを周遊することにしました。
そうと決まれば急いで進まなくちゃ。
コソボってどんな国?
次に向かうのはコソボ。
コソボ共和国はかつてはセルビアの一部だったけど、2008年に独立宣言を発表してコソボ共和国を名乗っている。コソボのことを国と呼べるかどうかは今でもあいまい。
コソボのことを国として認めている国と、認めていない国がある。
アメリカ、ドイツ、日本などはコソボを国として認めている。
スペイン、中国などの少数民族の問題を抱える国々では承認されていない。
もちろんセルビアはコソボを国とは断固として認めておらず、セルビアの一部だと認識されている。
だから、セルビアとコソボの国境はすごくややこしい。
例えば、コソボからセルビアに入るときは、コソボの出入国スタンプが押された状態でセルビアの検問を通ることになる。セルビアからすれば「セルビアの領土(コソボ)に入国しているのに、セルビアの入国スタンプがない」、すなわち不法入国っていうことになって大問題になるらしい。
私たちが今いるのはセルビア。
このまま真っすぐコソボに入るのが近道だけど、セルビアとコソボの微妙な国境を通るのは気が進まない。
セルビアからコソボに入る時は特に問題ないっていう話だけど…。
なので、ちょっとだけ回り道してモンテネグロから入ってみることにした。
ヒッチハイクでコソボを目指せ!
昨日の夜、リッキーはDJの仕事のために夜クラブに向かい、じゃあまた明日の朝って言って別れたんだけど、今朝タクシーを呼んでもらおうと部屋をノックしてみたら、部屋にリッキーがいなかった!
帰ってきてなかった…!
急いで近所の人にタクシーを呼んでもらってバスターミナルまで行きました。
そしてなんとか一日一本のバスに間に合いました…。
ここから、プリエポリエという響きの可愛い街まで。
大きい街からヒッチハイクを始める時は大抵苦労するので、最初はバスに乗ることにしたのです。
ウジツェからプリエポリエまではあっという間に到着。
バスターミナルもこんなにちっちゃい田舎町です。
今日はここからヒッチハイク開始。
モンテネグロまで行く車はいるかなぁ。
すると、すぐに1台の車が止まってくれました。
助手席に乗っていたミネラはサラエボの大学で勉強中。
モンテネグロの田舎町ロジャエ出身で、今は大学の長期休暇で家に帰るところだそう。
交通の便が良くないからタクシーをチャーターしたそうです。
「この車は私がチャーターしてるから何人乗っても大丈夫よ。」
優しいミネラはお腹をすかせた私たちにおやつを分けてくれました。ありがとう。
ミネラが車の中でセルビアの音楽を聞かせてくれました。
そしたら不思議なことにアラビアンな響き。この辺りはまだ頭の中ではヨーロッパだと思ってたから、中東の香りのする音楽にすごく変な感じがしました。
そして車は順調に国境を抜けて、モンテネグロに突入。
これは途中で見かけたファーストフード店。
ガラスに書かれたメニューを見ると、通貨がセルビアのディナールからユーロになっていました。
そこから1時間ぐらいは知ると、コソボの国境にほど近いモンテネグロ街ロジャエに到着しました。
ミネラの生まれ故郷です。
元々はコソボへの山道がある所で降ろしてもらう予定だったけど、「家族に紹介したいから。」と言って、家の前まで連れて行ってくれました。
お母さんとミネラ、顔がそっくり!
お姉さんはムスリムで、今は休みだけど普段はトルコの大学で勉強してるんだって。
みんなでお見送りしてくれました。
今日は野宿…?険しい山を越えてコソボへ突入せよ!
「この山の先がコソボよ。本当に行くのよね? Have a good trip!(笑)」
そう言いながら、別れ際にミネラが指差したのは険しい山々。
あの山を越えるのかぁ…。
あまり車が見当たらない場所だったけど、コソボへと向かう道でヒッチ開始です。
うーん、全然車が来ないなぁ…。
そのまま30分ぐらいヒッチをしていると、通りかかった地元の若者が「ちょっとそこまで乗せてってあげるよ。」と言って、乗せてくれました。
そして降ろしてくれたのは、家が一見ぽつんとあるだけの本当に何ものない山の中。
これは長期戦になりそうだ…。
早くもここに来てから2時間経過…。
車…来ないなぁ。
何もない山道。さっきからまだ2台ぐらいしか車が通っていません。
でも景色は最高。のどかで良いところだ。
昼寝でもできるぐらい車が来ない。
もう夕方だから今日はここで野宿かも。まあそれも悪くない。
でも寒かったら嫌だなぁ…。
ここに来てから3時間経過。来ない…。
もう諦めてテントをはろうかな。
そう思っていたら、久しぶりに走ってきた車が止まってくれました!やった!
乗せてくれたのはシャバンという男性で、今日の目的地コソボのペーチという街に住んでいる人です。
英語が全然喋れないけど親切に乗せてくましれた。
シャバンの車に乗ってものすごい山道をくぐり抜けます。
コソボってこんな山を越えた先にあるんだ。
山ののどかな風景。
だんだん標高が下がってきました。
そして無事コソボとの国境を通過しました。
コソボ側の国境はポリスだらけでちょっと恐かったけど、みんな笑顔。
日本から来たと伝えると、手を合わせてお辞儀をされました。笑
コソボ最初の街、ペーチ。
そしてようやく今日の目的地のペーチに到着!
ありがとうシャバン!
ちなみにこの街、セルビア語ではペーチ、アルバニア語ではペヤと呼ばれています。ややこしい。
モンテネグロではペーチで通っていたけど、コソボに入ってからはペヤと呼ばれるようになりました。
シャバンはわざわざホテルまで送り届けてくれました。
”Hotel Jusaj”という所。一泊一室20ユーロ。ちょっと高いけど部屋はまあまあきれい。
今日は野宿かと思ったけど、なんとかペヤまで辿り着けました。
おやすみなさい…。
そして到着した次の日は、さっそくペヤの街を歩いてみました。
初めてのコソボです。
この街はビールが有名らしく、この街の名前のビールがたくさんありました。
ペヤに到着したとウジツェのリッキーにメールしたら、「ビール楽しんでね。」という返事が返ってきたぐらい。
これがコソボに来て最初に食べたごはん。
2種類のスープとサラダを注文しました。どれもなかなか美味しい。
この豆スープみたいなやつ、見た目以上に味しかった!
さらさらの飲むヨーグルトと一緒に食べるのがコソボ流。地元のお客さんはみんな料理と一緒にヨーグルトを注文していました。
コソボの人たちはみんなフレンドリー。
コソボに来て驚いたのが、どの店も商品を店の前の歩道に並べて売っていること!
歩道に並べられたマネキン。
ホースやバケツも全部歩道に。
こんな所に並べて邪魔にならないのかなぁ?
街中には馬車も走っていました。
危機にさらされる世界遺産。
今日はペヤの街にある、ペーチ総主教修道院へ向かいます。
ペーチ総主教修道院は他の修道院や教会と共に「コソボの中世建造物群」の一つとして世界遺産に登録されています。
セルビア正教の教会だから、コソボにあるけど発音はペヤじゃなくてペーチになります。
教会までの道を歩いていると、アルバニアの国旗が時折目に入ります。
アルバニア人が90%以上を占めるこの街。
立ち寄ったほとんどのお店の中にアルバニアのポスターが貼られていました。
歩いていたらまたお腹が減ってきたのでパン屋さんでおやつを買います。
ボスニア・ヘルツェゴビナやセルビアでも見たぐるぐる巻きのパンや、丸い形が連なった不思議なパンもありました。
修道院に近づくと、イタリア軍の車をたくさん目にしました。
そして辿り着いたペーチ総主教修道院は美しい山の麓にひっそりと佇んでいました。
中には修道女さんたちが静かに暮らしています。
ここはセルビア正教の総本山とも言えるセルビア人にとってかけがえのない場所。
だからイスラム教徒のアルバニア人と争い、この地域をどうしても自分たちのものにしたかった。
逆に、コソボに住むアルバニア人にとってはセルビアを象徴する憎らしい場所。
コソボ紛争のときは、アルバニア人によって多くのセルビア正教会の修道院が破壊されたり、修道士が暴行にあったりしたそう。今でも危機遺産に登録されていて常に守っていないといけない場所です。
入口を警備しているのはさっきも見かけたイタリア軍。
きれいに手入れされた庭と、独特の屋根が可愛らしい。
教会の中は撮影禁止でしたが、13世紀頃の美しい壁画も残されていました。
そんな歴史ある可愛らしい修道院も警備していないといつ襲撃されるか分からない。
ここで暮らしている修道女さんたちはどんな気分なんだろう。
旅をしているといつも目にする、宗教間の対立。
ある所では教会が壊され、ある所ではモスクが壊されていく。
そんなやり取りを見ているといつも悲しくなります。
なんでこんなにややこしいんだろうな…。
kicco
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