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8/JUN/2015 from Peje to Prizren

今日はペヤ(ペーチ)からコソボ南部の街プリズレンまでヒッチハイク。
およそ100kmの道のりです。

開始早々、通りがかりのおじさんがアイスをおごってくれました。やさしい!
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その後、道端で段ボールにプリズレンと書いて歩いてたら車に声をかけられました。
でもタクシーと言ってお金のジェスチャーをされたので断って少し歩きます。

ヒッチハイクを始めようと思っていた場所に立って看板を掲げると、すぐに人がよってきて「プリズレンはこっちじゃないよ」と教えてくれました。
 

プリズレンに行く道は2通りある。
なんとなくこっちの方がプリズレンに近そうだなと思って目星をつけていた道はどうやら間違っていたみたい。

正しい方でヒッチハイクを始めたら5秒で車が止まってくれた。
拾ってくれたのはルーツィとボレの2人組。
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車の中から外を眺めていると、いたるところで目に入ったのがアルバニアの国旗。
国旗を指差したら、コソボだからね、と言ってた。やっぱりコソボはアルバニア人の国なんだ。
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通りにはこんな人も。
アルバニアの国旗は赤地に黒くて強そうな鳥の絵。威圧感があります。
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二人にはプリズレンの数十キロ手前で降ろしてもらい、ガソリンスタンドの前で再びヒッチハイク。
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次に止まってくれたのはモニという男性。
ドイツ語喋れる?って聞かれたけど、残念ながら私たちはドイツ語は喋れない。
大学1年のときに少しやってたんだけどな。きれいさっぱり忘れてしまった。
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笑顔がとっても優しい人。
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車の窓の外には否が応でも目に入るアルバニアの国旗。ものすごい数だ。
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そして無事プリズレンの街に到着。
今日もなかなか順調なヒッチハイクでした。
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コソボの首都プリズレン。

街にたどり着いてからも、やっぱり目に入るのはアルバニアの国旗。
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“どうしてアルバニアの国旗ばかり掲げてるの?”って宿の人に聞いてみたら、「コソボの国旗よりもアルバニアの国旗の方がかっこいいからだよ」って言っていました。
 

青いのがコソボの国旗、赤いのがおなじみアルバニアの国旗。
たしかに、コソボの国旗よりもかっこいい。
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コソボの国旗じゃなくてアルバニアの国旗を掲げてる理由は確かにそうかもしれない。
でも、そもそもアルバニアの国旗をこんなにたくさん掲げている理由は?

きっと、こうやって旗を掲げて主張しておかないとまた他の国や民族の人が攻めてくるんじゃないかと不安なんだと思う。ここに住む人たちの危機感の現れだ。
 

お土産屋さんに売っている国旗にも実は特徴的。
アメリカ、ドイツ、イギリス、トルコ…コソボのことを国として認めている国ばかり。
日本も認めているけど、日本の国旗は見当たらず。あまり接点がないんだろうな。
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宿にチェックインする時に壁にあった貼紙には、ここプリズレンから各地へのバスの出発時間が書いてありました。
最近はヒッチハイクだから時間に縛られることがなくて楽でいいなぁ、とぼんやり眺めていたら、ちょっとびっくりすることが書かれていました。

セルビアの首都ベオグラード行きのバスのところに、「本気?!」、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボ行きのところに「でもセルビアを通るよ…行きたいの?」って。
やっぱりコソボの人たちはセルビアのことが大嫌いなんだ。
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しばらく宿でゆっくりした後はプリズレンの街歩き。

プリズレンは街の中心に川が流れる落ち着いた街並。
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通りすがりに出会う人たちはみんなフレンドリーで、私たちを見ただけでハロー!って嬉しそう。

道端でボードゲームをする人。
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通りを歩いていると立派なモスクがたくさん目に入ります。
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コソボ紛争では二十万人にも上った難民たち。
プリズレンの街には未だにUNHCR(国連の難民キャンプなどを管理する部門)の車がありました。
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プリズレンにある世界遺産。

そんなプリズレンには一つだけ世界遺産があります。
柵に囲まれていて、今は入ることができない場所。
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可愛らしい形をしたセルビア正教のリェヴィシャの生神女教会。
12世紀に建てられた歴史ある教会です。
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中を覗き込むと、草も生え放題でごみも散らかっている。壁画もぼろぼろで誰も管理していない。
ここも、昨日訪れたペーチ総主教修道院と同じく危機遺産に登録されています。

ペーチ修道院の方は修道女さんがちゃんと丁寧に手入れされていたけど、ここは悲しいほど放置されてしまっていました。こんなに放置された世界遺産は初めて。世界遺産と呼ばれるのも惨めになるほど…。
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悲しい教会を見た後は、街のすぐ横にある丘の上に登ってみました。
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丘の中腹にあったのは廃墟になった教会。
ここはもともとキリスト教の街だったけど、今住んでいるのはムスリム中心のアルバニア人がほとんど。
コソボ紛争のときアルバニア人によってたくさんの教会が被害にあったそう。

天井がなくなって吹きさらしになった教会は、700年前のもの。
コソボ紛争のときに被害に遭ったのかどうかは分からないけど、壊れたまま放置されている。
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そして急な坂を登り切ると古い城壁が見えてきました。

見晴らしのよい城壁から見下ろすと、橙色の屋根が連なる美しい街並が広がります。
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ミナレットやモスクがたくさん目に入る。
数えてみると見えているだけでも20個以上のモスクがありました。
数十メートル間隔でモスクがあって、どうしてそれほどたくさん必要なのかと不思議に思えてしまうほど。
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一方で破壊され、廃墟になってしまったさっきの教会が見えます。
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この教会も元の姿を保っていたら…もっともっとずっと美しくて魅力的な街になるのに…。
 

追いやられるセルビアの人々。

丘を下って宿に帰る途中にセルビア正教の教会があったので、立ち寄ってみました。
聖ジョージ教会という名前の教会です。

ここは、この街にあるセルビア正教会の中ではおそらく唯一堂々とした外観を保っている教会。
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でも、ここも何度も襲撃にあっていて、2004年には完全に破壊されてしまったそう。
コソボ紛争が終わったのが1999年のことだから、紛争の後でもまだ火種は残っていたってことだ。

実は丘を登る前に一度この教会に入ろうとしたけど、開いていなかったので丘を下った後にもう一度やってきました。でもやっぱり開いていない。
 

教会の周りをうろうろしていると、教会に来ていたセルビア人の女性に話しかけられました。

「ごめんね、鍵を持った人が今日いなくて。中を見せてあげられないの。」

そう言いながら握手を求めてきた女性はまだ幼い娘さんを連れていて、この街と教会の事を少し話してくれました。

「私たちはセルビア人で、紛争が始まるまではずっとここで暮らしていたの。
 そしてこの街が今でも好きだから、コソボ紛争の後に戻ってきたのよ。
 ここは私たちの故郷だから。」

「この街には今でもセルビア人に恨みを持っている人はたくさんいるの。
 だから子供一人では買い物に行かせられない。襲われるかもしれないから。
 この町には30人ほどのセルビア人が住んでいるけど、みんな肩身の狭い思いをしているのよ。」

「そうだ。うちの娘と一緒に写真を撮ってもらってもいい?」と聞かれ、最後に一緒に写真を撮りました。
目を合わせようとすると恥ずかしそうにうつむく少女。
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この幼い少女は大人たち以上に恐い思いをしているんだろうな…。
もしかしたら同世代の友達を作ることも難しいのかもしれない。
 

教会を壊す必要なんてないし、キリスト教徒を追い払う必要もない。
アルバニア人が悪いとかセルビア人が悪いとか、そんなことじゃない。

ふるさとを思う気持ちはみんな同じなのに、どうして一緒に仲良く暮らすっていうことがそれほどまでに難しいんだろう。



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