雨のキガリ。虐殺の傷跡。
20〜21/OCT/2014 in Kigali
キガリは本当によく雨が降る。
滞在中は毎日のように雨が降っていたし、丸一日大雨が降り続けてずっと停電していた日もありました。
そんなキガリでのある日。
今日は朝からお出かけ。
外に出ると雨でも自転車タクシーが大活躍しています。
目的地は宿から歩いて1時間ぐらいで行ける場所ですが、雨が本降りになってきたのでバスで行くことに。
キガリに住む日本人
そして向かったのはこの場所。
とある人にどうしても会いたくてきました。
ルダシングワ(吉田)真美さん。
ルワンダで義肢・装具の制作を行っているNGOを立ち上げた方です。
ウガンダ出会った大学生旅人のありさちゃんに教えてもらったのですが、私が大学院時代に下肢装具(足に障害がある方の歩行を補助する器具)を研究していた事もあって、すごく気になっていたのです。
*NGOについて詳しくはこちらをご参照ください。
「ムリンディ/ジャパン・ワンラブ・プロジェクト」
ホームページに載っていた連絡先に事前にメールを送っていたのですが、その時期はメールサーバーの調子が悪かったらしく連絡が取れなかったので、今日はアポなしでやってきました。
私と同じ研究室で下肢リハビリの研究をしていただいごろも興味津々です。
真美さんのオフィスをノックすると、笑顔で出迎えてくださいました。
オフィスで私たちがここへ来た理由と自己紹介をしてから少し雑談。
今日はお忙しいということだったので翌日に出直すことになりました。
そして笑顔の真美さんに見送られて宿へ戻ろうとすると、後ろで車のクラクションが鳴りました。
車をのぞいてみると真美さんの旦那さんガテラさんと義足技師のアシェルさんが乗っていました。
「今から買出しに行くから、ついでに街まで乗って行く?」という有り難いお誘い。
まだ雨も降っていたし、せっかくなのでお言葉に甘える事にしました。
二人が買いに行こうとしていたのは義足に使う材料だそう。
その話を色々と聞いていると、どんな所で材料調達するのかとても興味が沸いてきたので、”一緒に材料の買い出しに着いて行かせて欲しい”とお願いすると、二人とも「いいよいいよ」と快諾してくれました。
やった!
二人が探していた材料は、義足の靴底に使うゴム。
義足技師のアシェルさんと一緒に店を回って探します。
アシェルさんは背がめちゃくちゃ高い!何と196cm!!
ちなみに、アシェルさんは日本の技師装具製作所で1年間修行したことがあるそうです。
修行した時は東日本大震災の直後で、余震を何度も経験して怖かったと話してくれました。
ルワンダは地震がない国だから余計に怖いだろうなぁ。
色んな店を回りながらお目当ての材料がないか聞いてみるけどどこにも置いていません。
ルワンダはアフリカにある小さな国。
日本だったらパソコンを開いてお目当ての商品の写真をポチッと押すだけで安く簡単に手に入るものも、この国ではなかなか見つかりません。
1時間近く探しまわった末に、靴の制作工場でようやくお目当ての材料を発見。
工作機械の数々が、綺麗に整理整頓されていて、使わない機械はちゃんとカバーをかけて大切に使っていました。とにかく綺麗好きなのがルワンダ人。さすがです!
こんな材料を手に入れるのに1時間近くキガリの街を探しまわりました。
そして無事材料が見つかったので、私たちはここでお別れ。
ガテラさんは親切にも私たちがこの後訪れようと思っていた場所までわざわざ連れて行ってくれました。
虐殺の傷跡
雨の中私たちが訪れたのはこの場所。
”Belgium Soldiers’ Memorial”。
ジェノサイドの最初の日、ベルギー人10人が殺害された場所です。
ルワンダと聞いて思い浮かぶのは、やはりあの悲しい歴史。
1994年に起こったフツ族によるツチ族の大虐殺は、ルワンダの至る所に深い爪痕を残しています。
そして、胸が痛むけれどこれらの負の遺産をしっかりとこの目に焼き付けておきたい。
そう思い私たちはこの国にやってきました。
これからの数日間は、そんなルワンダの各地に残された史跡を訪れていきます。
ルワンダのキガリにあるこの場所で殺害されたベルギー人たちは、国連平和維持部隊としてこの国で活動していました。
ジェノサイドの初日、フツ族大統領が乗った飛行機が追撃された大統領が死亡。
フツ族過激派の人々はその墜落の原因を国連平和維持部隊とツチ族によるものだと断定し、平和維持部隊とツチ族を直ちに殺害するようにと、ラジオを通じて訴えました。
ツチ族の虐殺を押し進めたいフツ族にとっては、国連は邪魔者。
国連を撤退させるためにこの平和維持部隊を殺害することが有効だと考えたのでしょう。
建物には銃弾の跡が生々しく残っています。
壁を貫通しているものもたくさんありました。
そして、わずか10人を殺害したにしては余りに多くの銃弾の跡が残っていて、どれほど多くの人々が彼らを追いつめ、どれほど大きな力が彼らの生命を絶ったのかが伺い知れます。
建物の外には記念碑が建てられていました。
この柱1本1本が亡くなった個人を象徴していて、水平線が彼らの年齢を、そして不自然に切られた天面は彼らの人生が強制的に終わらさせられたことを示しています。
年齢はみんな30歳前後。
私たちと変わらない年代の方の命が奪われてしまいました。
遺族がこの場所に訪れて書いた絵とメッセージ。
なぜ殺されなければならなかったのだろう、という痛いほどの思いと虐殺への憎しみが伝わってきます。
そこから私たちは徒歩でとあるホテルへ向かいました。
”ホテル・ミルコリンズ”。
この名前を聞いてピンと来る方もたくさんいるかと思いますが、日本でも公開された「ホテル・ルワンダ」という映画の舞台になったホテルです。
実際に映画に使われたのはウガンダにある別のホテルだそうですが、このホテルがあの惨劇の本当の舞台。
避難していた人々はこのプールの水を生活用水として使っていたのですね。
敷地内には記念碑が建てられていました。
今は当時の高級ホテルの品格そのままに、観光客でにぎわっていました。
そしてこのホテルはキガリの中心部にあります。
これほど人目を避けられない立地にあって、1268人ものツチ族の人々を匿うのはどれだけ大変だっただろう。
ルセサバギナさんの功績の大きさは計り知れません。
夕暮れ時、ホテルからキガリに中心部に歩いた所にある教会を訪れると、人々が集い賛美歌を歌っていました。
でもそんな平和な日常と隣り合わせに、壁や天井には血の跡が今でも残っています。
この場所でも教会に逃げ込んだツチ族の人々に対して大量虐殺が行われました。
人々を救う場所であるはずの教会が、悲しいことにジェノサイドに利用する恰好の場所となってしまったのです。
そしてキガリには、ルワンダの人々がジェノサイドの惨劇を後世に伝える為に建てられた ”Genocide Memorial Museum”があります。
中に入るとそこには大量の遺骨が展示されていました。
でもこれはまだほんの一部。
この建物に隣接された共同墓地には25万人もの犠牲者が埋葬されています。
さらに、この25万人というのも全てではありません。
犠牲者はなんと80万人にも上ると言われているのです。
この虐殺記念館には、ルワンダだけでなくナチスドイツやポルポトによるものも含め、世界各地でこれまでに行われてきた虐殺に関する展示もありました。
館内を訪れた人々が”Never again(もう決して繰り返してはならない)” というメッセージをあらゆるところに残していましたが、いくら祈っても何度も繰り返してしまうのが悲しい現実。
必ずまた同じことが起こってしまうということを、歴史が物語っていました。
展示されていたパネルに書かれていた、ツチ族の少女の言葉で心にずっと残っているものがあります。
正確には覚えていませんが、次のような内容です。
私は私の家族に会うことはもう二度とないけど、私の家族を殺した人には会うの。そのことを思うと一生笑うことなんてできない。
今、ルワンダではツチ族もフツ族も一緒に生活を営んでいます。
一方はたくさんの家族を殺され、もう一方は逆に政府に踊らされて虐殺に加担したという紛れもない事実があるにもかかわらず。
キガリの街を歩いていると、どうして今、こんなに平和なのかが不思議でならなくなります。
共に暮らしていることが奇跡のように思えます。
共同墓地には花束が手向けられていました。
ルワンダの大虐殺から今年でちょうど20年。
当時8歳だった私にはルワンダで行われていた惨劇についてメディアで報道されていたという記憶が全くありません。
私自身に興味がなかったからなのか、そもそも日本では表立って報道されていなかったからなのかは分かりません。
ジェノサイドをテーマにした映画が世界で公開された時に、私もようやくその歴史的悲劇を知りました。
そして今。
こうしてルワンダを自分の足で訪れる機会に恵まれたからには、ちゃんと自分の目で耳で肌で感じたことを書き記しておきたいです。
しばらくは暗い内容の記事が多くなるかもしれませんが、お付き合いいただければと思います。