LINEで送る
Pocket

24/OCT/2014 in Ntarama & Nyamata

ルワンダ各地に残るジェノサイドの傷跡。

今日訪れるのはどちらも虐殺のときに教会として使われていた場所です。

まずはキガリからニャマタへ向かうバスを途中で降り、そこから自転車タクシーに乗ってこの近くにある二つの教会を目指します。
PA241563

でもこの自転車タクシーがめちゃくちゃ怖かった…。

自転車を漕ぐ度に右に左に車体が揺れるし、田舎道ではボコボコの道でスリップしそうになるし、大きな道路にでると大型トラックがすれすれですれ違って行くし、終止冷や汗が止まらない。

だいごろは私よりも体重が重いのに漕いでくれたのが子供だったから、左右の振れが多きくてかなり大変だったみたいです。

みんな優雅に乗ってるんだけどなぁ。。笑
PA241887copy
 

のどかな風景が続く田舎道。
PA241876

たくさんのバナナを運ぶ男性。ルワンダの人々の主食です。
PA241891

マンゴーをとる子供たち。
私にも分けてくれたけど、熟れてなくてちょっと苦かった。。
PA241874

そんな穏やかな村で悲劇が起こった場所はなんと教会。
PA241543

このレンガ造りの小さな建物がその”ンタラマ教会(Ntarama Church)”です。
PA241552
 


キリスト教徒が多いルワンダ。

フツ族が自分たちを殺しに来ることを恐れた多くのツチ族は教会に逃げ込みました。
 

教会は神様に一番近い場所。

教会に行けば、神様が守ってくれる。

フツ族も神様の目の前で自分たちを殺す事はできないはずだ。
PA241921

でも現実は違いました。

教会に逃げ込んだおよそ5千人。

その全てが殺されてしまいました。

 


撮影禁止なので写真はありませんが、教会の中にはたくさんの遺骨と衣類が残されていました。
PA241911

ずらりと並んだ頭蓋骨をよく見てみると、残虐な殺され方をしているのが見て取れます。

マチェーテ(ナタ)で割られていたり、銃弾の跡が残っていたり、槍で刺された跡が残っていたり。
PA241549 copy

子供たちは振り回され壁に頭を打ち付けられて死に、女性たちは複数の男性にレイプされた後に2mほどもある長い棒を恥部から肩まで突き通されて死んだそうです。

壁には子供たちの頭が叩き付けられた血の跡が今でも残っていました。

教会の中には生き残れると信じて子供たちが持ち込んだ教科書が置かれていましたが、その教科書が使われる事は二度とありません。
 


 

そしてもう一つの教会は先ほどのンタラマ教会から自転車で30分ほどのところのニャマタという村にあります。
PA241582 copy

教会の入口の鉄格子のドアと床には手榴弾で破壊された跡。
PA241575

このニャマタ教会(Nyamata Church)にはおよそ一万人のツチ族の人々が避難していましたが、フツ族の持つ強力な武器を前になす術無く次々に殺されてしまったそうです。

また、虐殺が行われるまでの短期間にこれだけの武器を一般人だけで用意するのは現実的には不可能。

ルワンダ政府が大量の武器をフツ族へ供給していたのです。

そして、ルワンダ与党幹部数名は終身刑の有罪判決を受けています。
 


 

教会内部は撮影禁止なので写真はありませんが、教会の椅子の上には大量の衣類が残されていました。

虐殺直後は足の踏み場もないぐらいの遺体で埋め尽くされていたそうです。

この教会に1万人もの人々が避難していたというだけでも信じられないのに、一人残らず皆殺しにされてしまったなんて…。
 

この教会の中には小さなマリア様の像があり、今は抜け殻となってしまったたくさんの衣類を見つめていました。

このマリア様の力を以てしても、ツチ族の人たちを守る事はできなかった。

マリア様の像も虐殺のときに傷を負っていて、その表情は悲しみに満ちているように見えました。
 


 

ところで、ツチ族とフツ族の違いって何だと思いますか?

諸説ありますが、この教会のガイドによると昔は牛の数で決められていたそうです。

牛を10匹以上所有している人はツチ族、10匹未満の人がフツ族。

牛が10匹よりも増えればフツ族はツチ族になり、逆に牛の数が減ればツチ族がフツ族になる事もあったそうです。

だから民族の区別は曖昧だった。
 

でもベルギー人がルワンダを植民地化したとき、ツチ族とフツ族をきっちり区別し、それを利用して国を治めることを考えたそうです。

「中程度の背丈とずんぐりした体系を持ち肌の色が比較的濃い者」をフツ族、「痩せ型で鼻の高く長身で肌の色が比較的薄い者」ツチ族と決めつけました。

そして身分証明書を作って民族意識を高め、「優秀な」ツチ族に国を治めさせ、税金や教育面で優遇するようになります。

これって本当に酷いやり方だと思います。

フツ族が反感を抱くのも当然のこと。

そして民族は対立するようになり、大虐殺が起こった1996年よりも遥か昔、1950年代からツチ族への差別や虐殺は始まっていたそうです。
 


教会の横にあったのは一人の女性のお墓。
PA241576

1994年の大虐殺が起こるより前の1992年。

同じようにツチ族が虐殺に会いそうになって教会に避難したそうです。

そのとき彼らを守ったのがイタリア人の”Antonia Locatelli”という女性。

自らを犠牲にして多くのツチ族を保護したそうです。

ツチ族の人たちはそのことを知っていて、もう彼女はいないけどこの教会に行けば神様が守ってくれると考え、1994年の虐殺のときにもみんなこの教会に逃げ込んだそうです。

でも、もう彼らを守ってくれる人は誰もいませんでした。
 


 

教会の裏庭には共同墓地がありました。

「中に入ってみてください。」

ガイドが開けたドアの先にあったのは地下へと続く階段。

物々しい空気を感じながら薄暗い墓地の中に入ります。
PA241578

階段を降り切った所でようやく目が慣れてきて、そこがおびただしい数の遺骨で埋め尽くされていることに気付きました。

「この墓地には、5万人もの人たちが眠っているんだ。」

それはまるで映画のワンシーンのような、私たちにとってはあまりにも現実離れした光景でした。

これまでたくさんの虐殺の現場を目にしてきましたが、未だにうまく頭が現実を受け止めてくれません。

そして虐殺から20年経った今もなお、新しい遺骨が見つけられてここに持ち込まれることがあるそうです。
 

「これだけの証拠があっても、この虐殺が起こったということをまだ認めていない人も世界にはいるんだ。」

「この悲しい現実を受け止めて、あなたたちの国の人々にも知らせて欲しい。」

ガイドの男性は真っすぐな目で私たちにそう訴えました。
 


“Never again”

もう二度と起こってはいけない。

ルワンダを旅していて何度も目にした言葉。

虐殺が起こった現場には必ずこのメッセージが残されていたし、私自身も訪問者ノートに書いた言葉。
 

でも、起こるよ。

絶対起こる。

だからその言葉を見る度に胸が痛んだ。

今だって世界のあちこちで起こってる。

虐殺とは言わないかもしれないけど、日々戦い殺し合ってる人たちがいる。

この先も資源や食料が尽きたら、人は人を殺して力づくでそれらを奪う。

太古の昔からそうやって部族同士が殺し合いをして領土を広げてきたし、今になっても何も変わらない。
 

ツチ族とフツ族の緊迫感が生まれたきっかけも生活難からだった。

肥沃な土地を持つ国ルワンダ。

でも虐殺の前にはアフリカで最も人口密度の高い国となり、農国民の6人に1人が飢えに苦しむ状況となった。

生活が苦しくなり、一部のフツ族はツチ族さえいなくなれば自分たちの生活が向上すると考えるようになった。

そしてメディアを利用してその考えを煽った。

そういう感覚をみんなに植え付け、虐殺の計画を入念に練った。

民兵を組織し、武器を大量に準備し、密かにツチ族をリストアップした。

キガリ市内のツチ族を20分に1000人ずつ殺害する計画を立てたのは、虐殺が起こる3ヶ月も前のこと。
 

そして大虐殺が起こってしまった。

識字率の低い国民にとって唯一の情報を得る手段だったラジオ。

それを使う事によってあっという間に国民は洗脳された。
 

誰だって死ぬのが怖い。

他人が死ぬよりも、自分が死ぬ方が怖い。

「こいつを殺すか、自分が殺されるか選べ」と言われて、後者を選べる人なんてほんの僅か。

そして、隣人は隣人を殺した。
 


 

お互いをよく知っていれば紛争は起こらない。

そう思ってた。

でも、ツチ族とフツ族は小さな国ルワンダで一緒に暮らしていた。

近所に違う民族が暮らすことも当たり前だった。

お互いのことはよく知っていたはず。

それでも、虐殺は起こってしまった。

大衆心理を利用し、周到に準備された策略によって。
 

今の世界とこれまでの歴史を見渡してみると、それは私自身の身にも十分に起こり得る事だと思う。

そしてなぜ虐殺が起こってしまうのか、それは今回の旅を通して何となく分かってきた。

でもどうすれば虐殺を防げるんだろう?

ルワンダを出てからもずっと考えてきたけど、私には難しくて全然わからない。

でも一つ気づいたのは、ラジオしかなかった当時のルワンダとは違って今は情報を得る手段が多様化しているという事。

いろんな角度から情報を集めて真実を見極めることができれば、行き過ぎた考えを抑制する力になるかもしれない。

だから私にできることは、自分自身が少しでも世界に目を向けて、世界の人たちと話して、世界を知ること。

それぐらいしか思いつかないけど、心に留めて続けて行こうと思う。



Facebookで最新の更新情報をお届けしています。
「いいね!」ボタンを押してフォローしてね◎