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21/OCT/2014 in Kigali

今日は昨日約束したとある場所へ。

日本人のルダシングワ(吉田)真美さんと真美さんの夫でルワンダ人のガテラ・ルダシングワ・エマニュエルさんが運営しているNGO団体「ムリンディ/ジャパン・ワン・ラブ・プロジェクト」の活動拠点です。

このNGOでは、ルワンダとブルンジの手足が不自由な方のために義肢装具の制作を行っています。
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そして、私は大学院時代に下肢装具(足が不自由な方の歩行を補助するための器具)の研究をしていたので、このOne Love Projectを知ったときにこの活動に興味津々。だいごろも同じ研究室で下肢リハビリの研究をしていたので是非現場を見せてもらいたいねという事になりました。
 


まずはオフィスでワンラブプロジェクトや真美さんの人生について色々と教えてもらいました。
 

真美さんがここルワンダでの活動を始めたのは虐殺の2年後、1996年のこと。

でも、それよりもずっと前から真美さんの準備は始まっていました。

1989年にケニアでガテラさんと出会った真美さん。
後に真美さんの旦那さんになる方ですが、実はガテラさんも片足が不自由です。
幼い頃マラリアと診断され、お尻に注射をしたときに誤って足の神経を傷つけられてしまった。明らかな医療ミスですが、何の保証も保険もなく泣き寝入りするしかなかったそうです。
 

紛争の影響でルワンダの情勢が悪化しガテラさんが来日した時、ガテラさんが使っていた装具を修理したことをきっかけに二人はルワンダで義肢装具製作所を作ることを思い立ちます。そして、真美さんは義肢装具製作所に弟子入り。なんと5年も修行を積み、義姉装具の技術をみっちり蓄えたそうです。

5年間は超遠距離恋愛。
当時、文通しか通信手段がなかったけど、二人の愛が弱まることはありませんでした。

そしてその遠距離恋愛中にルワンダの虐殺があり、ツチ族のガテラさんの身を常に案じていた真美さん。テレビで映像が流れる度、被害者の中にガテラさんの姿を探してしまったそう。

「修行期間だったから時給400円ぐらいだけど、目的があるとそれでも不思議とお金は溜まる一方。OL時代は気付いたら浪費してしまっていたのに。目的があるってすごいこと。」と真美さん。今お金を使うばかりの自分を見返してぎくりとしてしまいます。真美さんがルワンダで義肢を作って人々を救うことを決意したのは29歳のとき。私と同い年!自分がゴミに思えてくる…。笑
 

そして、いざ日本を出発しようと準備しているとき、テレビに取り上げられたこともあり支援がたくさん寄せられたそうです。若かったこと、女性だったこと、虐殺のあったルワンダへ向かおうとしていたこと、と言ったキーワードが重なってラッキーだったと真美さん自身は語ってくれましたが、真美さんの努力と直向きな姿勢そのものにたくさんの方が共感せずにはいられなかったのは明らか。

「まずは目的を持って孤独に努力すること」という成功者に必要な要素の一つを確実に実行したからこそです。
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お忙しいにも関わらずかなり長時間話し込んでしまったのですが、義肢装具製作所も案内してもらいました。

まず見せてもらったのは受付。
ここに、義肢装具制作が申請書たくさん山積みになっていました。
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虐殺の頃に足を失った人もいれば、地雷を踏んでしまった人もいます。患者さんが負傷した年を見ると負傷したのが何十年も前の人ばかり。最近は糖尿病患者も増えてきたそうです。

義肢の制作費は6割が政府、4割がOne Loveの負担。政府の予算は少ないので申請しても実は1割ぐらいしか承認されません。
政府の承認が降りないと制作できないのが実情ですが、どうしてもの事情がある場合はOne Love Peojectが全額負担することもあるそうです。需要に対して供給が追いつかないのが事実。
 


「ところで、道端で物乞いしてる人にお金あげる?」真美さんに尋ねられました。

私たちの答えは、「あげないことがほとんどだけど、ごく稀にあげる」。

もうどうやっても働けなさそうな人に出会ったとき、稀にお金をあげることもあります。でもいつも心が痛むし判断が難しく悩みの種になっています。

ルワンダでは物乞いが禁止されているので物乞いは他の国に比べると少ないですが、階段の踊場など警察の目の届かないところでこっそり物乞いしている人も見かけました。
やっぱり、四肢が不自由な人が多かった。

そして真美さんの答えは、「あげない」。

このワンラブプロジェクトを頼ってやってきて、政府による厳しい審査を乗り越え義足を作ってあげても、「仕事をするよりも物乞いの方が儲かるから」という理由で義足を外して物乞いになってしまう人もいるそうです。

そんな思いでこのNGOを運営している訳じゃない。物乞い以外の道を見つけて、生きがいのある人生を送ってほしい。
だから、真美さんは物乞いにお金をあげることはないそうです。
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続いて、アトリエ(製作所)へ。

義肢装具士の皆さんが協力して装具を加工していました。
昨日一緒に買い出しに行ったアシェルさんもいます。
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前回も少し書きましたが、ここルワンダで材料を見つけるのは大変なこと。
今手元にあるものでできる限り工夫してお客さんの元に届けるそうです。

できない理由を挙げだしたらきりがないけど、諦めずに考え抜いて一個一個形にしていきます。
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アトリエにあった、樹脂を溶かすためのオーブンも元々は鳥肉を焼くためのもの。足を形取る樹脂は装具用じゃなくて、円筒形の樹脂パイプを溶かしたもの。
いたるところに工夫が見られました。
 


こんなものもありました。
みんなが頭を悩ませていた義手。
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これも既存の部品では患者さんと長さが合わないそうです。
接着剤でくっつけると簡単にとれてしまう。みんなで知恵を絞っている最中でした。
 


アトリエやみなさんの作業を見せてもらっていると、何だか前職の開発の仕事と似てるな、と思いました。

材料が完璧に揃うまで待ってたらいつまでも前に進まない。
自分で考えて工夫して、目の前にある材料でできる限りのことをする。
仕事ができる人って、どんな環境でもぐいぐい前に進んで行く力がある。

真美さんたちからもそんなエネルギーを感じました。
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倉庫に行くと、きっちり区分けされて部品が並んでいました。
このあたりはやっぱり日本の整理整頓する文化が息づいているように感じます。
ルワンダの人も几帳面なので、日本のやり方と合うのかもしれません。
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日本からの中古品で寄付してもらったものもたくさん並んでいました。

日本では使われなくなった重たい部品たちが、ここルワンダでは現役で活躍しています。
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こんなものも義足に使われる為に日本から贈られていました。
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ちなみに倉庫では足の不自由な女性がテキパキと整理整頓と在庫管理をしていました。
One Love Projectではなるべく障害のある人を雇うようにしているそうです。
 


NGOを立ち上げた当初は真美さん自身が義肢装具士として仕事されていたそうですが、今は真美さんは運営側に回っています。

現場で働く人と意見が合わないことも多いそうです。
日本人同士でも運営するのは大変なのに、価値観の違うアフリカで運営するなんて並大抵のことではありません。

でも真美さんとお話していると強い意志と責任感が伝わってきました。
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目的があるからまっすぐ前に進む力になる。壁を乗り越えるエネルギーになる。

未来が見えている人は強いし、思い描いた未来を実現できる。

これからもこのプロジェクトがたくさんの方の新しい一歩となり、たくさんの方の希望となりますように!



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