LINEで送る
Pocket

31/MAR/2014 in Ishinomaki

さかのぼる事1ヶ月。

フィリピンへの旅立ちを前に、日本を離れる前に必ず訪れたい場所がありました。

東日本大震災の被災地。
日本で最も世界から注目されているこの場所を知らずに日本を離れることはできないと感じ、
世界旅行にいく事が決まった直後から最初に訪れようと決めていました。

もう丸三年以上経つけれど、震災後にまだ一度も訪れたことのない場所。

仙台空港へ降り立ち、市街へ向かう電車の窓から見えた海岸添いには家がほとんどありませんでした。

仙台駅周辺は5年ほど前に訪れたときと何らかわらぬ光景でしたが、震災のときは仙台も道路がぼこぼこになったり、至る所が崩れたりしてたので、ここまで復興したということ。
町の復興は速い。
sP3310916

ここから、石巻までバスで向かう。

駅からほど近い「藤や食堂」で石巻焼きそばを食べることに。
P3310929

石巻焼きそばの特徴は茶色い蒸し麺と、自分でかけるソース。
ソースなしで食べると魚介類の香りがしていて、オリジナルソースをかけるとさらに美味しかった。
P3310931

ごはんのあと、店主に恐る恐る津波のことを聞いてみた。
強面に見えた店主は饒舌で、たくさんお話してくれました。
P3310935
お店は1m以上浸水したこと。
コルクボードのシミの高さまで水があったこと。
周りの建物の多くが倒壊したこと。
お店の前の通りで亡くなっていた方もいたこと。
地震の揺れで冷蔵庫が倒れ、危うく下敷きになるところだったこと。
店主は津波を恐れてすぐに避難したこと。
津波で助かっても、低体温で亡くなっていく方もいたこと。
娘さんと連絡がとれたのは4週間後だったこと。
お店を再開できたのは震災から半年後だったこと。
製麺所7社のうち、6社が流されてしまったこと。
今は5社まで回復したこと。
近くの大型店では、イオンモールだけが住民に避難所として解放していたこと。
一時2500人もがイオンモールに避難していたこと。
などなど。

大変な経験をされているはずなのに、坦々と事実を教えてくれました。

お店の近くは普通に道が通っていて、お店も立ち並んでいて、一見被害はなさそうだったけれど、復興した結果だったということに驚いた。

津波のこと意外にも、石巻の歴史、石巻焼きそばの歴史や、お店の生い立ち(昭和20年創業)、中村雅俊と同級生だったことなど、いろいろ教えてくれました。
P3310937

その後、日和山に登ると被災の状況がよく分かるよ、と教えてもらい登ってみることに。

日和山は高さ60mの小さい山。
山の頂上が公園になっていて、海岸がよく見通せました。
見渡すとただの更地に、真新しいお墓がたくさんありました。
公園には被災する前の写真が貼ってあって、いかに多くの建物が流されてしまったのかが見てとれました。
sP3310950

sP3310971
門脇小学校は、津波火災に見舞われ、使えなくなっていました。
今は、高台の中学校グランドに仮設校舎を立てて運営しています。
sP3310976

P3310942

実際に自分の目で見ても、想像をはるかに超えていて、現実味がない、不思議な感覚でした。


帰ってから、震災のときの日和山からの動画を見ました。

雪の舞う寒い日。
たくさんの方が、薄着のままで避難していました。
タクシーが山に押し掛けていました。

何分待っても特に何も起こらず、みんな何事もないんだとたかをくくっているように見えました。
それから突然、家が川の上流に流されてきて、それからあっという間に町が海の中に沈んでしまった…

避難している方々の悲鳴やどよめきがすべてを物語っていました。



Facebookで最新の更新情報をお届けしています。
「いいね!」ボタンを押してフォローしてね◎