ダルエスサラームで地元民に全力で殴られました。涙
14〜15/OCT/2014 from Moshi to Dar es Salaam and Zanzibar
セレンゲティとンゴロンゴロクレーターでの最高のサファリ。
マラング村での一週間とキリマンジャロ登頂。
長らく滞在したモシとマラング村をようやく離れるときがやってきました。
モシからダルエスサラームへ
前日に予約していた午前6:30のバスに乗り込むと定刻出発。素晴らしい。
7時間で着くと行ってるけど、ほんとに着くのかな?
できれば今日中にタンザン鉄道の予約をしてザンジバルまで行ってしまいたいんだけど。
モシから東へ向けて走り出すと、道にはバオバブの木がたくさん生えていました。
4時間ほど走った後に休憩。
15分休憩って聞いてたのでビュッフェを頼んで食べます。
1プレート6000Tsh(360円)
しかしあろうことかこのプレートを2、3口食べたところで、私たちのバスが発車!
まだ全然食べてなかったけど、全部残して全力ダッシュ。
バスが右折して視界から消えかけた所で、ギリギリ追いついてなんとか間に合ったいました!
危なかった。。
休憩時間15分って何度も確認したのに。。
この写真はさっき食べ逃した昼ご飯の代わりにバスの車内で食べたキャッサバチップス。
大根みたいにほろ苦い味がする大人のチップスでした。クセになる味です。
交通事故。どうやったらこんな事になるのか。
アフリカ諸国では日常茶飯事なので、自分の乗っているバスが無事に到着する事を祈るしかありません。
結局、ダルエスサラームへは9時間半もかかって、着いたのは夕方の4時。
昼に着いていたら色々やっておく事があったんだけど、暗くなると危ないので今日の所は宿に直行することに。
バスが到着したのはウブンゴバスターミナル。
ここから町の中心までは10km。
バスターミナルにはオフィシャルタクシーがたくさんいた。値段は最安でも17,000Tsh(約1000円)。
ちょっと高かったので、ダラダラ(ミニバス)を探してみる事に。
バスターミナルを出るとすぐに目当てのPosta行きのダラダラがやってきました。運賃は二人でたったの800Tsh(50円)。安い。
それにそれほど危険な感じもしなかったので、ダラダラで向かうことにしました。
ダルエスサラームは最近ではナイロビよりも治安が悪いという噂。
タクシーに乗っていて窓越しに腕ごと時計を盗まれる事もあるそうです。(恐過ぎる…)
なので、ダルエスサラームの気候は高温多湿でかなり暑いけど窓はきっちり閉めました。
ダラダラに乗ってから20分ほどでPostaという地区へ到着。
そしてダラダラを降りて3分の所にあるYWCAにチェックイン。
ひとまず無事宿までたどり着けたことに安堵しました。
宿はあっさりしてて病院みたいな感じ。
ダブルルームで25,000Tsh(1500円)。
宿に着いてひと段落したらもう18時前。
疲れていたし外に出るのは危なそうだったので、宿のレストランで特に美味しくもないチキンとライスのセットを食べてから寝ました。
だいごろ、地元民に全力で殴られる。
キリマンジャロ登山の疲れを癒すべく次に私たちが目指すのは、アフリカの楽園ザンジバル!
でもその前に、ザンジバルから帰って来た後に乗る予定のタンザン鉄道のチケットを買いに鉄道駅へ向かいます。
昨日は暗くて恐かったけど、朝のダルエスサラームの街はビルが建ち並ぶ都会的な雰囲気。
そんな街並の写真を撮りながら歩きます。
と、突然後ろからガシッと腕を掴まれた!
そしてグイッともの凄い力で引っ張られたので後ろを振り返ると、その瞬間に平手打ちが飛んできました!
バシィィィ!!!
右頬に痛みが走ります。
目の前立っているのは太った巨体の女性。
しかし、彼女の存在を認識するや否や、今度は左頬に平手打ちが飛んできました!
バシィィィィッ!!
あまりに突然の出来事に状況が全く飲み込めない僕。
”え?何?どういう事?”
英語で聞きますが全く通じず、彼女は僕の腕を全力で掴んだままもう一度殴り掛かろうとして腕を振りかざしました。
やばい!と思って身構えると、今度は周りにいた男性陣が止めに入ってくれましたが、何が何だかさっぱり分からない。
止めてくれた男性の中に英語がしゃべれる人がいたので聞いてみると、彼女は僕が彼女の写真を撮っていると思って怒ったのだそう。
「彼女が刃物を持っていたら死んでいたかもよ。」
と言われましたがその通りです。
タンザニアにはムスリムの人が多いし、写真を撮る時は気をつけてはいたのですが、注意不足でした。
人物の写真を撮るときはいつも被写体になる方の了承を取っているし、街並を撮る時も宗教施設や軍事施設がフレームに入っていないかは確認するようにはしています。
だけど今回のように街並に人が入ってしまう場合は人数が多すぎるし小さく写るだけなので声をかけずに撮影していました。
だけどこれからは今回のようなケースも想定して、シャッターを切る前にはさっと周りを見渡して、写真を嫌いそうな人がいれば可能な限り声をかける。
旅行者のマナーとして徹底していきたいです。
それにしても、何も聞かずにいきなり後ろから全力で殴って来るなんて。。。
女性に握られた僕の腕からは数日間アザが消えませんでした。
その後、写真恐怖症となってしまった僕は、カメラを鞄の奥底にしまい込みダルエスサラーム鉄道駅へ。
ここでタンザン鉄道のチケット購入について色々と苦戦したのですが、久しぶりに顔を殴られたショックで書く気力がなくなったので今日はもう無理です。笑
結論から言うと欲しかったチケットは買えなかったのですが、タンザン鉄道の情報と合わせて別の記事で詳しく書こうと思います。
アフリカの楽園ザンジバルへ
さて、色々ありましたがいよいよザンジバルへ向けて出発です。
鉄道駅から帰って来た僕たちは、さっそくダルエスサラームの港でチケットを買い船へ乗り込みます。
一番安いフライングホース社で20USドル。
するとマラング村のジャスパーの家で出会った”まささん”と再会しました!
まささんは私たちと会った翌日にマチャメルートから無事ウフルピークへの登頂に成功したそうです。
でも、高山病になってかなり大変だったみたい。
観光客は強制的にVIP席に乗せられるので、冷房の効いたフカフカのソファでのんびりしながらダルエスサラームを出発です。
船は3時間ぐらいでザンジバルの港に到着。
このザンジバルはポルトガルに始まり、アラブのオマーン帝国、イギリスの植民地としてずっと支配され続けて来た場所。
なので、各国の建築物が混在している不思議な街並が今でも残っています。
この扉はオマーン帝国の名残でしょうか。
下の写真の建物は日本人娼婦たちがつい40数年前まで暮らしていた場所。
1894年以降に日本からお金と引き換えに連れられて来た”からゆきさん”と呼ばれる女性たちがこんなに遠く離れたザンジバルで働いていたなんて、ここに来るまでは全然知りませんでした。
そして各国に支配されている間、ザンジバルの人々は奴隷として各地に輸出され、この島は奴隷貿易の拠点として使われていました。
ここは奴隷たちが収容されていた地下室。
こんな狭い部屋に何十人も押し込まれて、船に乗せられるのを待っていたそうです。
ジメジメしてカビ臭い地下室には奴隷が逃げないようにする為の鎖や首輪が置かれていました。
もし僕がこんな所に閉じ込められていたらすぐに発狂してしまいそうです。。
この場所では1873年まで、夕方16:00になると毎日のように奴隷市場が開かれていたそうです。
僕も実際に奴隷貿易の負の遺産を自分の目で見るまではなかなか信じられませんでしたが、ここで行われていた事は全てが紛れもない事実なのです。
夕暮れ時のビーチではサッカーをする若者や、海ではしゃぐ子供たち。
そして遠くには昔ながらの帆船が行き交っていました。
海岸に座ってこの風景を眺めていると、なんだか数年前に訪れたマダガスカルを思い出しました。
世界地図をよく見てみると、ザンジバルとマダガスカルってすごく近かったんですね。
夕食は海沿いずらりと並ぶ賑やかな屋台で。
これはザンジバル名物の”ザンジバルビザ”。
日本のお好み焼きに近い感じで美味しい!
これは”ザンジバルミックス”という食べ物。
ゆで卵とか串焼きの肉とかカリカリのオニオンとかジャガイモとかがどっさり入ったスープ。
ちょっと酸味があってこれもめっちゃ美味しかった!
綺麗な夕焼けと美味しい屋台のご飯。
初日からザンジバルの空気を大満喫できました!!
そして、明日は東アフリカを縦断する旅人なら知らない人はいないであろう、あの超有名宿に向かいます!!
おわり
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出発地:モシ(Moshi)
目的地:ダルエスサラーム(Dar es Salaam)
移動日:2014/11/14
運賃:18,000Tsh
バス会社:Chakito社 一列5席のバス
出発時刻:6:30
所要時間:9時間半
メモ1:
バスターミナルに行くと机を並べただけのバスオフィスがたくさんあります。朝6時頃から1時間おきに各社出ています。前日の夕方に予約しましたが席数はかなり余裕がありました。
メモ2:
ダルエスサラーム行きのバスはすべてウブンゴバスターミナルに到着します。街の中心へはPosta行きに乗ると、YWCAのすぐ近くに着きます。運賃は400Tsh。